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航空事情 航空ビジネス講座

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飛行の歴史

第二次世界大戦

第二次世界大戦の勃発は航空に多大な影響を与えました。が、同時に航空もこの対戦に多大な影響を与えたと言えます。1939年にヒットラーがポーランドに侵攻した時点では、米国にあった輸送用の航空機は300機以下でした。しかし、戦争が終結する1945年までの毎年、米国の航空機メーカーだけで、5万機程度の航空機が生産されました。

勿論、それらの航空機の殆どは戦闘機や爆撃機でしたが、飛行機による輸送力が戦略上、重要であることがすぐに理解されていきました。戦時中、航空会社は兵員や戦略物資の輸送で多大なる貢献を成し遂げました。航空会社はその歴史において、旅客、貨物の両分野で嘗てなかったビジネスチャンスを得たのでした。多くの航空会社は、新しい路線を開拓し、戦後もその翼を拡大したのでした。

戦時中、米国の航空機メーカーは、早く、高く、そして遠くまで飛行できる航空機の開発に努力し、多大なる技術的発展を成し遂げました。戦争中に技術革新が進んだものに、レーダーと、欧州で開発された、ジェットエンジンが挙げられます。

ジェットエンジン、理論から実用化へ
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後方に向けられた爆発が機械を高速で推進させることを最初に理論化したのは、アイザック・ニュートンで18世紀のことでした。しかし、英国人パイロット、フランク・ウイッテルが1930年に最初のジェットエンジンを設計するまで、その理論は実用化されることがありませんでした。ウイッテルがジェットエンジンの設計を完成させた以後も、その実用性は懐疑的とされ、商業化の実験を阻んでいました。

結局、ドイツが最初に製作、飛行機に搭載して実験をすることになります。ウイッテルとは異なり、研究者ハンス・ボン・オヘインが独自に設計したもので、1939年に初飛行しました。しかし、ドイツでもその実用化には懐疑的な見方が大勢を占めていました。その後、5年の歳月をかけてドイツの技術者はジェット機を完成させましたが、時既に遅く、実用化される前にドイツは敗戦を迎えました。

ウイッテルも戦時中にジェットエンジンの改良を行い、1942年には試作品を米国のジェネラル・エレクトリック社に送りました。米国初のジェット機、ベルP−59型機が製作されたのはその翌年の出来事でした。

レーダー、敵味方の判別から航空管制へ
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レーダーの技術は、侵攻してくる敵の航空機を早期に発見する目的で、開戦以前から英国人技術者達により開発が進められ、1940年には英国東岸に通信装置の設置が完了していました。その能力は、大陸で離陸するドイツ軍機の発見が可能でした。

また、英国人技術者は、オシロスコープの画面上に地図を描き、飛行中の航空機の位置を光る点で示す技術も開発、完成させました。米国では、その技術の上に、味方の航空機に無線装置(トランスポンダー)を搭載することで、画面上で敵味方の判別が可能となる技術を開発しました。後に、この技術は民間航空機の管制システムに応用されていきます。