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航空事情 航空ビジネス講座

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飛行の歴史

スキャンダル

メージャー・エアラインへの期待
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1930年に、郵政大臣ウォルター・ブラウンが推し進めた法律は、民間航空事業の進展に更なる重要な影響を与えました。法律の原案者、ローレンス・ワトレス(ペンシルベニア州選出の下院議員)の名前を取りワトレス法と呼ばれる法律で、郵政省に航空郵便物の重量ではなく、容量もしくは量に応じた料金で、長期の航空郵便契約を認めるものでした。

更にワトレス法は、それが国益に適う場合、郵政省に航空郵便の輸送経路を統合する権限を与えました。ブラウンは、ワトレス法により、航空会社の経営基盤が強固になり、大陸横断や、夜間飛行と言ったサービスが充実すると期待していました。

新たな契約
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連邦議会が法案を認めると、ブラウンは直ちにワシントンで航空会社との新たな契約交渉に入りました。後にそれらの契約交渉は、腐敗委員会にかけられることになります。ブラウ ンは、契約交渉に一部の大手航空会社だけを招き、その内容に付いては殆ど公表しなかったのです。

ブラウンは3つの大陸横断経路を設定し、ひとつの経路を複数の航空会社が、接続して輸送するのではなく、それぞれの経路を1社が単独で運行するようにしたかったのです。ブラウンの意向は、政治上の問題を引き起こし、その2年後には制度が大きく変更されることになります。

選挙の果て
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1932年の連邦議会選挙での民主党の地滑り的敗北で、中小の航空会社は新聞記者や、政治家に対して、ブラウンによって航空郵便の契約交渉で不当な扱いをされたと訴えまし
た。そして、ある新聞記者が、ブラウンによって大きな航空郵便の契約が、大手航空会社の入札価格が、ちいさな航空会社の入札価格の3倍だったのにも関わらず、大手航空会社と結ばれていたことを明かしました。

この問題で、アラバマ州選出の上院議員、ヒューゴ・ブラックによる、連邦議会公聴会が開かれ、スキャンダルは1934年にフランクリン・ルーズベルト大統領が、全ての航空郵便契約を破棄し、航空郵便輸送を陸軍に委託する事態に発展しました。

民間の事業
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この決定は誤りでした。陸軍のパイロットは航空郵便の飛行経路や、気象変化への対応を知りませんでした。1934年の2月、陸軍のパイロットが訓練飛行から航空郵便の実践飛行へと移行しましたが、事故が続発し新聞の一面を飾る結果となりました。ルーズベルト大統領は、陸軍への委託から僅か1ヶ月で、方針転換を余儀なくされました。

1934年の航空郵便法で、連邦政府は今一度、航空郵便事業を民間への委託に戻しました。しかし、新たな法律による基準は民間航空事業に著しい影響を与えました。入札希望者にはより一層の競争力が求められ、既存の契約者は入札に一切参加出来なくなり、多く航空会社が再編を迫られました。

メーカーとエアラインへ
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結果として、連邦政府の航空郵便事業は均衡に配分され、輸送料金の低下を招き、民間航空会社、航空機メーカーに旅客輸送事業への開拓を迫ることになりました。また、連邦政
府は、ボーイング社やプラット・アンド・ホイットニー社とユナイテッド航空の関係のような、航空機メーカーによる民間航空会社の経営と言った、垂直的な産業構造の分割変更を迫りました。それにより航空産業全体の再編が実現し、新たな方向への歩みが始まりました。