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航空事情 航空ビジネス講座

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3. 規制緩和

 
航空規制緩和法

規制緩和の前と後
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現在の米国の航空業界は、1978年以前のそれとは革命的に異なったものです。1978年以前の米国の航空業界は、電気やガス、水道事業のようなものでした。連邦政府の民間航空委員会(Civil Aeronautical Board)が、それぞれの航空会社が運航する路線を決め、航空運賃を認可していました。現在の米国航空業界は、完全に市場が決定する産業になっています。旅客、荷主が受けたいサービスの程度と料金を、需給関係によって決めています。

航空規制緩和法
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1978年10月24日に航空規制緩和法(Airline Deregulation Act)が議会上院を通過、その4日後にカーター大統領が署名し、成立したことで、米国の航空業界が転換期を迎えました。

航空業界の規制緩和への圧力は、長年に渡り積み重ねられたものでした。数多くの研究を通して、経済学者は規制緩和の必要性を説いていました。規制されていない州内路線の運賃より、同じ距離で規制を受けた、州をまたいだ路線の運賃が高いことなどが指摘されていました。しかし、1970年代中頃に起きた一連の出来事が、規制緩和への圧力を強め、問題提起しました。

一連の出来事
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まず、B747型に代表されるワイドボディー飛行機の登場による、航空会社の輸送能力、供給量の大幅な増加が挙げられます。また、1973年の中東産油国の石油輸出規制による、航空燃料の急騰、それに伴う航空運賃の値上げが挙げられます。

上記の二つの出来事は、経済が減速する中で偶然にも同時に発生し、航空会社を厳しい状況に追い込みました。需要が低下する中で、機材は大型化され(オーバーキャパシティー)、費用は高騰(燃料費、及びに一般物価の上昇による諸費用の増加)する状況でした。航空会社は、経費を削減し、座席を埋める為に集客力を高める必要がありました。

民間航空委員会
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民間航空委員会は、航空会社に適切な利益を確保させる役目を持っていました。それに従い、民間航空委員会はそのような状況下で、航空会社が運賃を引き上げることを認めました。また、向こう4年間の新規路線の開設を禁止し、航空会社間で主要路線での供給を制限する協定を結ぶことを認めました。

当然のことながら、それら民間航空委員会の行政行為は、社会一般からは人気のないものでした。利用者の利益を無視した、航空会社に有利なことが認められたのにも関わらず、航空会社の財務状態は改善される兆候は全く見られませんでした。運賃は上がり、供給は制限を受けたのにも関わらず、1970年代中頃の航空会社の利益は乏しいものでした。

フォード政権
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政府による規制が過度に米国産業界の負担となり、インフレを助長しているとの意見の高まりから、1974年、フォード政権は政府による産業への規制改革に着手しました。その後、エドワード・ケネディー上院議員が委員長を務める、上院の行政の業務と手続きに関する小委員会が、「航空運賃は、政府による競争に関する規制が解除されれば自動的に下がる。」とする結論をまとめました。

規制するものの報告
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民間航空委員会の1975年版の報告書も、同様の結論に至っています。報告書では、「航空業界はそれ自体が既に競争的で、独占的ではない。また、民間航空委員会が航空運賃を、電気やガスといった公共料金のように規制することを、正当化することはもはや出来ない。」とまで言及しました。

民間航空委員会は自ら、航空業界に対する影響力を弱めて行きました。経済学者の、カーン氏が1977年に同委員会の委員長に就任すると、その説得力を持って議論を重ねた結果、民間航空委員会は航空会社に、大幅な運賃と新規路線への参入の自由化を認めました。